Breeze in Savanna

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日記

「感動」や「直感」を信じること
2009 年 05 月 04 日

この連休は出かけずに、もっぱら読書・DVD鑑賞・ウォーキングで過ごしている。
こんなにのんびりとした連休も珍しい。
ウォーキングは小林秀雄の講演を聴きながら歩いている。
4本くらいの講演CDを順番に何度も聴いているが、実に面白い。
本質を見極める深い思索、そして歯に衣着せぬちょっと投げやりとも思えるしゃべり方。
「こういった重要なことは話を聴くのではなく、原書や自分の本を熟読せよ」というようなことを小林秀雄は何度も口にしている。
たしかに本を読むべきなのだろうが、難解な小林秀雄の本(本人は重要なことはみな難しいので、難しいと言われると腹がたつと言っているが・・・)は机に座って集中して何度も読まないとわからない。
ところが、講演CDなら歩きながら気楽に何度も聴くうちに少しずつ頭に入ってくる。
それから興味のある部分を熟読すればよいのだろうと思っている。
小林秀雄の入門としては講演集のCDはなかなかよいのかもしれない。

今日聴いたCDのなかで聴衆からの質問に答えるところがあった。
小林秀雄の代表作の一つに『本居宣長』があるが、「どのようにしてその作品に行きついたのか」という質問に対し、「自分は何をやろうとか計画を立ててやったことは一つもない。その時の感動や直覚を信じてやってきただけだ」と答えている。
まさにその通りだと思う。
感動や直感が自分の進むべき道に導いてくれるだろうと僕も信じている。
もし、それが間違っていたら、途中で「違う」というサインが出るはずで、それが失敗であったり、苦難だったりするのだろう。

以前も書いたが、「夢を持つ」ことが賛美される傾向にあるが、「本当にそうだろうか」とこのCDを聴いてあらためて思ったのである。
夢を持つというのは、単なる欲なのか(たとえば宝くじに当たるのも夢と言っている人もいる)、空想にすぎないのか(努力もしないで夢想しているだけで夢と言っている人もいる)、それとも内なる声がもたらす直覚(直感)なのか。
通常は最初の2つも夢の中に入っているが、それらは単なる欲望であり、自分の可能性を狭める原因であり、称賛されるべきものではないはずだ。
そんな夢を持つことは勝手であるが、何でも「夢」を持てばよいという風潮、それを称賛する風潮は改めるべきだろう。
大切なのは、最初の「感動」や「直感」を信じることなのだと思っている。

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