Breeze in Savanna

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日記

私の日々の生活や、思ったことなどを書きためて行こうと思います。
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三村 淳さんのこと 2016/03/15
今回の写真集も三村淳さんに構成をお願いした。
三村さんは高名な方で、星野道夫さんの作品集のほとんどや岩合光昭さんの代表作『おきて』、『セレンゲティ』も手掛けておられる。
前作のラブレターの構成も三村さんだったが、これはPHPの編集者が決めたのだった。
当時は駆け出しの写真家だったので、大御所の三村さんにはあまり意見は言えなかったのは事実である。
先に三村さんが選んだ写真構成に後から自分が文章をつける形で、話し合いの機会もそれほど持てなかった。

今回は、出版が決まる前から何度かお会いして自分の伝えたいことを話し合う機会を持ってきた。
そのせいで、「井上さんの伝えたい内容を尊重する」、「喧嘩するくらい意見をぶつけ合って創っていこう」とおっしゃってくれているのはありがたいことだ。
最初の3冊の写真集はアートディレクションをしてくださる方と1~2度の話し合い(0回ということもあった)ですべてが決まってしまい、「こんなものなのか」「誰の写真集なのだろう」と違和感を持っていた。
最初の写真集が決まった時に大御所の写真家から「自分の意見はまったく通らないと思っていたほうがよい」と言われ、遠慮していたせいもあるが、今思えば自分の想い・情熱も足りなかったのだろう。
今回はあきらかに違う。
「井上さんの代表作にする」「今回は燃えている」という三村さんの言葉。
私同様に三村さんも手ごたえを感じておられるようだ。

新作写真集 進行状況 2016/03/14
写真展が終わって1か月以上がたった。
写真展の事後処理に追われ、バタバタしていた。
その作業と並行しておこなっていたのは写真集の原案作り。
忙しい診療の合間を縫いながら作業を続け、やっと完成したので、先日構成をしてくださる三村淳さんと編集者の森さんと打ち合わせをおこなった。

写真のクオリティーは今までの写真集からは格段に向上しているのでご期待ください。
出版は今年の10月を予定しています。

次回写真展の日程が決まった 2016/02/16
次回写真展の日取りが決まった。
2017年2月22日〜3月7日の2週間(展示と撤去で1日半とられるので実質12日半)。
場所は新宿・ヒルトンホテル地下にあるヒルトピア アートスクエア。
落ち着いた雰囲気のギャラリーだ。
時間も朝10時から夜の7時までおこなえる。
企画展として3つ並んでいるギャラリーをすべて使わせてもらうことになっている。
このうち2つは、スライディングウォールを動かすことでつなげることもできるようだ。

先日終了した富士フイルムフォトサロンを超えた自分史上でベストの写真展にするつもりだ。
今回もやり切った感はあったが、いかんせん会場が狭く、出せない作品が多かったのだ。

今回の写真展は、最後の写真活動のつもりで背水の陣で臨んだ。
多くの方に評価していただき、本が出ることになり、出版記念として写真展もできそうだ。
今はもう1年続けてみようという気になっている。
これで活動が広まっていかなければ、終わりでもよいし、要請されれば続けていくだけと思っている。
へんな執着が薄れてきたのは事実である。
作品やいのちの答えを求めるような求道的取り組みは卒業して、サバンナはもっと楽しむだけでよいのかもしれないと思うようになってきた。

この変化は、求め続け、やっとこの年になっていのちの意味が分かってきたからだと思っている。

次回写真展決定! 2016/02/11
次回写真展の打ち合わせに新宿まで出かけた。
打ち合わせの結果、開催が決まった。

期日の決定はもう少し先になるが、来年の2月後半〜3月前半の1か月間の中で2週間になるだろう。
場所は新宿ヒルトンホテルの地下にある『ヒルトピア アートスクエア』というギャラリーだ。
昨日見学したが、きれいで落ちついた雰囲気のギャラリーだった。
3つのギャラリーが並んでいるが、企画展として3つを同時に使わせてもらえるようだ。

富士フイルムフォトサロンは最高の立地条件だったが、会場が狭く、2段掛けの展示になってしまった。
大勢の方に来ていただけたのはとてもありがたかったが、観る側からすれば、少し混みあっていて、キャプションが読みにくかっただろう。
感想文を書く場所に椅子を置くこともできなかったし、会場内で座って休むこともできなかった。
期間も1週間と短く、来れなかった方も多かった。

次回の写真展は今回の写真展のマイナス面がすべて克服できる条件がそろっている。
しいていえば、駅から遠いのが難点。
JR新宿駅からだと徒歩15分かかるが、西口からヒルトンホテル行きのシャトルバスが出ているので、それを利用すればそれほど不便ではない。
地下鉄だと、丸の内線・西新宿駅からだと4分、大江戸線・都庁前からでは徒歩5分だ。

今回の写真展では会場が狭く、出したくても出せなかった作品が多々あった。
次回の展示スペースは壁面として今回の3倍ある。
テレビを使った放映もできる。
今回の作品に加えて出せなかった作品、過去の自信作も併せて集大成の写真展にしたいと思っている。

感想文に励まされて 2016/02/07
今回の写真展では、写真の内容には自信があった。
今まででベストと思っているし、思った通りの評価をいただいたように思う。
写真と同等以上にキャプションもたくさんの方に褒めていただいた。
しかし、最後のまとめの文章(深遠な『いのち』についてまとめたもの)は哲学的すぎて難解ではないか、と危惧していた。
文章が「くどい」という指摘も実際あった。
内容的には、おそらく「どんな哲学書もここまではまとめきれていないだろう」という自信作だったが、落ち着いた雰囲気で何度も読まなければ分からないような内容だということは理解していた。
千回以上書き直し、書き終わった時に出さなくてもよいと思った。
自分自身がこれを書くことで各段に進化したことが分かったからだ。
掲載することに執着はなかったが、私の大学時代の弟子で、今はアメリカのUCLAの准教授をしている深田先生の「世に出すべき」というアドバイスに従って出すことにした。
誰も読まないようなら、会期途中で撤去してもよいと思いながら・・・・。
しかし、多くの方がこの難解な文章を読んでくださった。
熱心に読んでくださった一人の方の感想文をご本人の許可をいただいたので、ブログhttp://keico.exblog.jp から抜粋して掲載することにする。

以下その文章です(申し訳ありませんが、一部省略し、誤記訂正をさせていただきました)。

真っ赤に輝く太陽を背にチーターが弓なりに伸びて恍惚のよう。
二頭のシマウマの向こうに足の長いピンク色のフラミンゴの群れが画面一杯に肩を寄せ合っている。
昇る朝日におののき喜ぶ<朝日とキリン>、甘える子ゾウと優しい眼差しの<ゾウの親子>、
ヌーの川渡り、母親の後ろでじっと見つめる四匹の子供<チーターの家族>ライオン親子、などなど、
会場には大判の美しい写真四十数枚が所狭しと並んでいた。
大きく引き延ばされてプリントされた作品はパワー一杯!

時にはどう猛と言われる野生の動物たちの表情はなんとも穏やかで優しいのはなぜだろう。
そんなことを思いながら、いつのまにか私は空と大地と動物たちの園に導かれていた。
自然と太陽と大地と生き物たちが一つになって会場は不思議な優しさに包まれていた。

 これは今現在のこの地球というプラネットに存在する生きる命の現の姿なのだろうか。
この地球上で生きている生きものたちがなんだかとても愛しくなってきた。
動物の親子やサバンナを行く動物たちの群れは、東京砂漠で生きている人間よりもずっとずっと優しく幸せな眼差しをしているような。
日が昇り太陽が燦々と輝き、一日の営みと生への戦いが終わり、やがて黄昏がやってきて陽は落ちて漆黒の闇になるサバンナ。
そんな世界をこの写真家はどんなふうに旅をしているのだろうか、と思った。

撮った方にお会いしたいなって思ったのは久しぶりだ。
いつもは写真展をみてもあまりその撮り手に合いたいと思うことはないのだが、今回はどんな方がこの純な生きものと語らいあっているのだろうか、と想像した。

 会場の入り口のデスクには女性が座り、そばに背の高い男性がたっていたが、その方なのだろうか。
もう一度一回りして、帰り際に一枚の印刷物が壁にはられているのに気がついた。
      <いのちの物語>
『命』『いのち』の関係について、私の考えを述べてみたいと思います。
から始まる四十行ほどのプリントに見入ってしまった。

色即是空の『空』の概念にふれて『命』という存在に疑問を持ち始めたこの作者は、大自然の中での生命の営みをみていると、「生と死には境はなく、死は別の生にかわっていくだけ」と
感じるようになったという。
そしてその悠久の時を生きる生命を、『いのち』と名付けたという。
それはミクロの世界観ではなく、『命』とミクロの世界観の間にあって、『脳が感じることのできる、より生命の本質に近い何か』と思うようになったという。

その感覚は、強い感覚刺激で優位脳の機能が満たされて、右脳優位になった状態のときや瞑想の時に現れるが一過性で、左脳の活動が再度始まると消えてしまうと。
『いのち』を生む右脳が優位の時に現れる生き方は、慈悲に包まれていて、時間や空間の感覚がない。
そして『命』重視の生き方を認めつつも、少しずつ『いのち』の本質である愛(慈悲)に目覚めていくことが、向かうべき方向だと思うようになったのだという。

他者に貢献し続けること、時には意図的にも左脳機能を遮断して『いのち』を思い出すことの必要性。
そして最後に、これらの気付きによって初めて、人として、医師として、「悲しみ・苦しみに満ちた現実の『命』をどう生きるか」について考える出発点に立てたように思うのです。
と結んでいた。

 左目だけでは文字として認識できないほど悪い目なのに、私はじっと二度も読み返していた。
“素晴らしいですね〜〜〜” 思わずでた私の言葉をデスクの女性が聞いていたと同時に、隣で立っていた男性が「ありがとうございます。おわかりいただけるのですか」嬉しいです”と。
“いったいどのくらいの方がわかってくださるかと思いながら書きました”とも。
その方がこの写真を撮った方であり、この<いのちの物語>の思いを書かれた作者であった。

 しばらくお話しさせていただけた。
井上冬彦氏。
ご職業は医師であるが、このサバンナの魅力にとり憑かれて二十数年前からもう何十回もこの世界に通い撮影をつづけていらっしゃるという。
三冊あった写真集のひとつの<Love Letter 母なる大地に思いを込めて><切ないほどに美しい。
サバンナから“いのち”の贈り物>を購入してサインをいただいた。

 深い思いのまま、おいとまをして隣のビルの地下の虎屋へ。
季節の粟ぜんざいをいただいたあとに、この写真集を食い入るように何度も観た。
「サバンナでの感動を伝えたい」という作者の思いがどの作品にもあふれていた。

 満天の星の下で書かれた書き出しから、最後のページのフクロウの声を聞きながら、
きみの今日一日が幸せでありますように。と
動物たちに語りかける言葉で終わるこの百ページほどの写真集は、空と大地と動物たちの切ないほどに美しい様が写されていた。

 奥付をみて驚いた。
アマチュア作品の最高賞である<林忠彦賞>を撮った方だったのだ。
人々を治し癒す医師という職業のかたわら、趣味のサバンナ通いで「サバンナの大自然の持つ癒しの力」を撮って、今や自然写真家としてのプロの活躍をなさり、写真と医療を統合したお仕事をできるとはなんと素敵なことでしょう。

 そして今、人の「生と死」と自然界の「生と死」を長年みつめた体験から、<命>と<いのち>というかたちをみつめて他者に貢献し、そして今思いを新たにして、<医師として、「悲しみ・苦しみに満ちた現実の『命』をどう生きるか」について考える
出発点に立てたように思うのです>と結ぶこの日本男児に心より杯を挙げたいと思うのでした。


医師として30年以上、開業して10年がたつ。
今はおそらく大学病院に勤めていた若い時より働いているだろう。
臨床医として、経営者として進化しつづけているように思うが、間違いなく年は重ねている。
サバンナに通い続けることは、体力的にも精神的にもかなり厳しくなっている。
しかし、「やめてはならない」というたくさんの激励の声、写真展の時のみなさんの「感動した」という感想、そしてこのように素晴らしい感想文にふれると「頑張ろう」という気力がわいてくるのだ。

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